現在の協和発酵バイオの設立は、2008(平成20)年。しかし母体となる協和発酵工業は、1949(昭和24)年に創立しました。このコーナーではそんな当社の知られざる歴史と概要について、ご紹介します。
「ジベレリン」というものをご存じでしょうか? 「奇跡のホルモン」とも称される、植物ホルモンです。
ジベレリンは大正年間に、日本の研究者によって発見されました。稲の葉が極端に長くなり、実を結ばなくなるという病気の研究が、そのきっかけです。植物の生長を強く促進するという特徴を生かし、後に発芽・生育の促進のほか、種なしぶどうを作るのにも利用されるようになりました。
協和発酵バイオの前身である「協和発酵工業」では、 1956(昭和31)年に研究を開始。1958(昭和33)年には、すでにストレプトマイシンの技術導入で関係のあったメルク社から、ジベレリンの製造技術を導入しました。
実用化に向けた研究は容易ではありませんでしたが、果樹・野菜・米麦・林木・牧草などの農薬各分野の研究者を総動員。1958(昭和33)年2月に「ジベレリン協和錠」を発売し、翌年には「ジベレリン協和粉末」の販売を開始しました。
1959(昭和34)年には、ジベレリンによりデラウエアの無核化(種なしにすること)に成功。しかも収穫期が2週間も早くなるという、画期的な成果を上げました。
1962(昭和37)年には、「ジベレリン協和液剤」を発売。この時には、「種なしぶどうの種明かし」という「ジベレリン協和」のキャッチコピーも生まれています。
ジベレリンに対する農家の反響は大変大きなものでした。なぜなら、1962〜1963(昭和37〜38)年ごろ、デラウエアの10アールあたりの一般的な粗収入が5〜8万円であったのに対し、ジベレリン処理の種なしの場合は15〜20万円だったのです。
それまで、種のあるデラウエアは、ほかの果実との競合で衰退の道をたどっていました。木を切ろうとしている農家も少なくなかったそうです。こうした農家にとって、ジベレリンはまさに救世主的な役割となりました。
現在でも、ぶどう農家をはじめとする国内外の農場において、協和発酵バイオが発明したジベレリンが日々の作業に活用されています。協和発酵バイオの技術は、農業の分野においても大きな貢献を果たしておりました。
- 第1回 世界初の発酵法によるアミノ酸量産化
協和発酵バイオの前身「協和発酵工業」は、1956年に微生物の力でアミノ酸を量産する革新的な方法「発酵法」を発明しました。
- 第2回 CIマークの意味とその由来
緑色の丸と「KYOWA」の文字を組み合わせた協和発酵バイオのCIマークには、さまざまな思いが込められています。
- 第3回 結核を駆逐した「ストレプトマイシン」
協和発酵バイオの前身「協和発酵工業」が、かつて日本で「不治の病」と恐れられた結核の撲滅に貢献したことをご存知でしょうか?
- 第4回 「ジベレリン」による農業分野での貢献
種なしぶどうを作る植物ホルモン「ジベレリン」。協和発酵バイオの技術は、農業の分野においても大きな貢献を果たしています。
- 第5回 「協和発酵バイオ」誕生の歴史
私たちはキリングループの一員として、「協和発酵工業」の時代から受け継がれるバイオケミカル事業を展開しています。