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協和発酵バイオものがたり

現在の協和発酵バイオの設立は、2008(平成20)年。しかし母体となる協和発酵工業は、1949(昭和24)年に創立しました。このコーナーではそんな当社の知られざる歴史と概要について、ご紹介します。

第1回 世界初の発酵法によるアミノ酸量産化 第2回 CIマークの意味とその由来 第3回 結核を駆逐した「ストレプトマイシン」 第4回 「ジベレリン」による農業分野での貢献 第5回「協和発酵バイオ」誕生の歴史

第2回 CIマークの意味とその由来

昭和56年に生まれた新しいCIマーク


協和発酵バイオの前身となる「協和産業」(左)、
「協和発酵工業」(右)で用いられていた旧社章

 緑色の丸と「KYOWA」の文字を組み合わせた、協和発酵バイオのCIマーク。商品パッケージにも掲載しているので、見覚えがある方も多いのではないでしょうか? このCIマークは、協和発酵バイオの前身である「協和発酵工業」の時代から使われているものです。
 もともと、協和発酵工業では、「K」の文字をデザインした社章を用いていました。しかしこのCIマークは認知度が低く、また類似のものも多かったことから変更することに。1981(昭和56)年4月に、新しいCIマークが誕生しました。

事業内容を表す美しいCIマークが誕生

 1年間の検討を経て誕生した新たなCIマークは、協和発酵工業の想いが表現された、斬新なものとなりました。
 個々の円は複合企業的なイメージと「和」の精神的風土を、左肩に走るストロークは無限の飛翔を、全体的なシルエットは事業の原点である化学を暗示させるベンゼン環の六角形を表しています。
 デザインを担当したのは、世界的なグラフィックデザイナーであるレイ・吉村氏。吉村氏は、新CIマークのデザインにあたり、当時の社長・木下祝郎の言葉からヒントを得たといいます。それは「発酵とは、2倍、4倍に増えていくこと。発展性、無限性、未来性を表すもの」というものです。また美しい色合いについては、当時の会長・加藤辨三郎の「目の休まる色で、和が感じられ、清潔感のあるもの」という意見を参考にしたと語っています。そしてCIマークの下には、事業の国際化に対応して、アルファベットの「KYOWA」の文字を添えました。


様々な場面で使用される、協和発酵バイオのCIマーク


シルエットはベンゼン環の六角形をイメージ

大きな反響を呼んだ新聞での告知広告

 新しいCIマークのイメージが一般に浸透し始めた同年12月、全国紙に告知広告を掲載しました。CIマークのお披露目と、協和発酵の意気込みを示す目的が込められたその広告。当時の全社員6181名の氏名が載せられた、画期的なものでした。この広告は予想以上の反響を呼び、社内はもとより、取引先にも好評を博しました。翌年には日経広告賞も受賞。企業広告として高い評価を受けました。 「協和発酵バイオ」はこのCIマークとともに、歴代の社員たちの想いも受け継いでいるのです。


1981(昭和56)年12月に掲載された、
社員全員の氏名を載せた新聞広告


2011(平成23)年9月の新聞広告では、
社員の顔写真を掲載

バックナンバー
第1回 世界初の発酵法によるアミノ酸量産化

第1回 世界初の発酵法によるアミノ酸量産化

協和発酵バイオの前身「協和発酵工業」は、1956年に微生物の力でアミノ酸を量産する革新的な方法「発酵法」を発明しました。

第2回 CIマークの意味とその由来

第2回 CIマークの意味とその由来

緑色の丸と「KYOWA」の文字を組み合わせた協和発酵バイオのCIマークには、さまざまな思いが込められています。

第3回 結核を駆逐した「ストレプトマイシン」

第3回 結核を駆逐した「ストレプトマイシン」

協和発酵バイオの前身「協和発酵工業」が、かつて日本で「不治の病」と恐れられた結核の撲滅に貢献したことをご存知でしょうか?

第4回 「ジベレリン」による農業分野での貢献

第4回 「ジベレリン」による農業分野での貢献

種なしぶどうを作る植物ホルモン「ジベレリン」。協和発酵バイオの技術は、農業の分野においても大きな貢献を果たしています。

第5回 「協和発酵バイオ」誕生の歴史

第5回 「協和発酵バイオ」誕生の歴史

私たちはキリングループの一員として、「協和発酵工業」の時代から受け継がれるバイオケミカル事業を展開しています。

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